徒労の檻|A Cage of Vain Struggle

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第四章|Chapter 4

縛られたまま横たわるテツオと、立ち上がってテツオを見下ろすゴウ。
謎の緊張感が、事務所内を包んでいた。

ゴウは無言のままテツオから目を逸らし、辺りをキョロキョロと見回している。
何かを見つけ、自由になった手でそれを掴み上げる。

それは、強盗が床に捨てていったガムテープであった。
ゴウはガムテープを引き伸ばすと、テツオに向き直った。

「……ゴウ?」

テツオの疑問符は、瞬時に封じられた。
ゴウが手に持ったガムテープを、テツオの口に押し付けたのだ。
先ほど強盗にやられた時よりも強く、容赦のない力で。

「んぐっ!?」

テツオが目を見開く。

ゴウは手際よくテープを首の後ろまで回し、二重、三重に巻き付けていく。
再び唇が押し潰され、呼吸の自由すらも奪われていく。

なぜだ。
テツオの脳内が混乱で埋め尽くされる。

巻き終えたゴウはテープを切り、静かにテツオの目を見ていた。

「社長、すみません」

その声は、相変わらず淡々としていた。

「だけど、あなたにはもうついていけません」

ゴウはしゃがみ込み、自分の手足を縛っていたロープを拾い上げた。

「身代金は、俺がいただいておきますんで。あとはよろしくお願いします」

その言葉に、テツオの全身が凍りついた。

気づいていたのか。
俺が、あの男を拉致したことを。身代金目的の誘拐を企てていたことを。

ゴウは知っていて黙っていたのだ。
そして、この強盗騒ぎという予期せぬアクシデントを、千載一遇の好機へと変えた。

テツオは必死に首を振った。
やめろ、ふざけるな。

だが、ゴウはテツオの体を無造作に転がすと、後ろ手に縛られた手首と足首を強引に引き寄せた。
体が逆海老のように反り返り、背骨が軋み、腹筋が引き攣る。

「ぐぅぅ……ッ!」

喉の奥で呻くが、ゴウの手は止まらない。
手首と足首を一本のロープで連結し、固く結び目を作る。

さらに、胸や腕、太腿にもロープを回し、念入りにテツオを縛り上げていく。
テツオは身体をよじるどころか、寝返りを打つことさえ不可能な肉塊と化した。

痛みを忘れるほどの、圧倒的な拘束感。
ただひたすらに「動けない」という絶望的な重圧が、テツオの魂を押し潰していく。

ゴウはテツオの体を足で押し、眠ったままの店長の横、事務所の奥まったスペースへと転がした。
そして、テツオの作業着のポケットに手を突っ込み、トバシの銀行カードとスマートフォンを抜き取った。

身代金の振込先。そして、それを管理する端末。
全てを奪われた。

テツオは床に頬を押し付けたまま、もう考えることすらできなくなっていた。
ただゴウを、ぼんやりと見上げている。

「では社長、今までお世話になりました。お元気で」

ゴウは一瞬だけ口角を上げると、背を向けた。

事務所のドアが開く。
雨の音が激しく入り込み、そして閉じた。

車のエンジン音が響き、タイヤが砂利を蹴る音が遠ざかっていく。
残ったのは静寂と、無惨に縛り上げられた中年の男が2人。

テツオは瞬きすら億劫になり、ただ虚空を見つめた。
意識の隅で、遠く離れた工場の倉庫を思う。
そこにいるはずの、あの男のことを。

彼もまた、今の自分と同じように、誰にも届かない場所で、闇を見つめているのだろうか。

遠く離れた工場の倉庫。
暗い闇の中、この男もまた、必死に体をよじっていた。

ズズッ、ズズッ。

衣服が柱と擦れ合い、乾いた音を立てる。

学生時代に鍛え上げた全身の筋肉を総動員し、なんとかして後ろ手の縄を解こうと試みる。
だが、テツオが素人なりに懸命に巻き付けたトラロープは、もがけばもがくほどに食い込み、その結束を強めていくようだった。

指先が痺れ、感覚が遠のいていく。
肩の関節が悲鳴を上げ、全身から脂汗が噴き出す。

「んんーっ!! んぐぅっ!!」

ガムテープの下で絶叫するが、それは誰の耳にも届かない。
静寂だけが、男のあがきを嘲笑うかのように支配している。

長い長い格闘の末、蓄積した疲労がついに限界を超えた。
男の動きが止まる。

荒い呼吸だけが倉庫内に響く。
圧倒的な徒労感。

(なんで、こんなことに……)

心の中で呟いた言葉は、虚しく闇に溶けていく。

動けない体。
届かない声。

この男もまた、ただ迫りくる夜の深さと絶望に、ゆっくりと飲み込まれていった。

― END ―

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