闇に捕らわれた人質|The Hostage Bound in Darkness

TOC

第二章|Chapter 2

窓枠の隙間から木漏れ日が差し込み、きらきらと舞う塵が光の筋の中で踊っていた。
外からは鳥の囀りが響いてくる――ウグイスか、それともヒバリか。

まぶたの裏を照らす光に促され、私はゆっくりと目を開けた。
ぼやけた視界の輪郭が少しずつ整い、意識が現実へと戻ってくる。

腕と脚を伸ばそうとして、何かにぐっと押さえつけられて動かないことに気づく。

――ん……? ああ、そうだった。

見慣れぬ天井、見知らぬ部屋。そして、縛られた自分。
その光景が記憶の奥を刺激し、昨夜の出来事が一気に蘇る。

宝石店での強盗、ワゴン車での逃走、この廃工場での拘束――。
ロープが肌に食い込む感触、口に押し込まれた布のざらつき、その息苦しさ――。。
すべては、途切れることなく続いていたのだ。

一晩中、直立した姿勢で柱に縛りつけられていたせいで、関節がぎしりと軋み、筋肉は冷えた鉄のように硬直していた。肩甲骨の間に鈍い痛みが広がり、首筋の筋肉は石のように固まっている。腕はじんじんと痺れ、足は重い鉛のように沈んでいる。

なんとか縄を解けないかと体を改めてねじってみるが、やはりびくともしない。結び目は岩のように固く、もがけばもがくほど縄はさらに食い込んだ。自分の無力さを痛感しながら、浅い呼吸がひゅう、ひゅうと喉を鳴らす。

ふと、部屋の隅にかすかな光が走るのが見えた。朝日が差し込む角度で、透明な空き瓶が転がっている。

その瓶の表面に映る自分の姿を見た瞬間、胸の奥が凍りついた。
クリーニングしたばかりの背広には深いシワが入り、白いシャツは汗と埃でまだらに汚れている。
歪んだネクタイが首に絡みついて、まるで絞首台の縄のように見えた。
髪は乱れ、頬は青白く、目は虚ろに沈んでいる。

猿轡をされ、縄に縛られた自分の姿――その惨めな姿に、思わず視線をそらした。

その時、外からブウン…というエンジン音が聞こえた。続いて、タイヤが砂利を踏みしめる音。

――誰だ? 強盗犯か、それとも助けか。

心臓がドクン、ドクンと跳ね、鼓動が耳の奥で鳴り響く。
緊張と恐怖が血管の中を駆け抜けるように広がっていった。

金属の鋭い音で扉が開くと、期待も虚しく覆面を被った男たちが入ってきた。私をさらった3人組の強盗犯だ。彼らの足音が床を踏みしめ、埃が舞い上がる。彼らは私の前に立ち、口に押し込まれている布を強引に取り始めた。布が引き抜かれると同時に乾いた喉に空気が流れ込み、咳き込みながら荒く呼吸する。

ガチャン。金属の鋭い音とともに扉が開く。
わずかな希望も虚しく、現れたのは覆面の男たちだった。
昨日、私をさらった三人組――逃げようのない現実が、再び足元を固める。

彼らの足音が床を踏みしめ、埃がふわりと舞う。
一人が無言で近づき、口に押し込まれた布をぐいっと引き抜いた。乾いた喉に空気がひゅうっと流れ込み、私は思わずげほっ、げほっと咳き込む。荒い呼吸が喉を焼き、胸の奥でずきずきと脈を打つ。

次に、男の一人がミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。無造作にキャップを開けると、縛られたままの私の口にそれを押し当て、水を流し込んできた。

最初は拒もうとした――だが、乾き切った喉がそれを許さない。
冷たい水がさらさらと流れ込み、歯茎にしみるような痛みを残して喉を落ちていく。久しぶりの水分に体がびくりと震え、胃の奥で水がとぷりと音を立てた。
その冷たさが、皮肉にも「まだ生きている」ことを教えてくる。

さらに、別の男がパウチを取り出した。手軽に栄養補給できるゼリー飲料のようで、ペットボトルと同じように私の口にそれを押し当て、中身を流し込んでくる。甘いゼリーが口の中に広がり、喉を通り抜ける。少しずつ空腹も満たされていくが、まるで親鳥からエサを与えられている小鳥ような、屈辱的な気分になった。

続いて、別の男がパウチを取り出した。手軽なゼリー飲料らしく、先端を切って私の口に押し当て、中身をぐにゅっと絞り出す。少し酸味と甘みのある味が舌に広がり、喉を滑り落ちていった。少しずつ空腹が和らぐ――が、まるで親鳥に餌をねだる雛のようで、屈辱の熱が胸を焼く。

水と食料を与えられる一方で、もう一人の男が縄を解き始めた。
ロープがきゅっ、きゅっと鳴り、やがて手首の束縛がふっと緩む。その瞬間、全身に血がどっと巡り、痺れた腕がじんじんと蘇る。手首には深くロープの跡が刻まれ、擦り切れた皮膚からは血が滲んでいた。

痛みと強張りをほぐそうと、私は反射的に手首をさすった。
そのささやかな動作が、束の間の「自由」に思えた。

……良かった。これで解放される――そう思ったのも束の間だった。
私のロープを解いた男は、再び私の腕を背中にぐいと回し、無言のまま隣の部屋へ引きずっていく。

辿り着いた先はトイレだった。清掃の気配はなく、ツンと鼻を刺すアンモニア臭が漂っている。便器の縁には黒ずんだ汚れがこびりつき、床はぬめりを帯びていた。

男が外国語で何かをまくしたてるように言い、私を中へ押し込んで扉を閉めた。
言葉の調子からして「用を足せ」という意味だとわかった。

先ほど無理やり水と固形物(流動食のようなものだったが)を口に入れらたこと、縄を解かれて1人になり、少し気が緩んだことが重なったためか、尿意と便意が急に襲ってきていた。大人しく便座に座り、用を足す。便座の冷たさが太腿に伝わり、不潔な空気が鼻を突く。トイレをしながら、今なら逃げ出せないか辺りを見回す。トイレには天井近くには小窓があるが、小さすぎる上に鉄格子が嵌められており、とても逃げられそうにない。窓から差し込む光は希望のように見えるが、現実は絶望的だ。

先ほど無理やり水と流動食を飲まされたこと、そして長時間の拘束から解放された安堵からか、急に尿意と便意が押し寄せてくる。仕方なく便座に腰を下ろすと、冷たい陶器が太腿にひやりと触れ、不潔な空気が喉を刺した。

用を足しながら、私はあたりを見回す。
今なら――逃げられるのではないか?

しかし、天井近くの小窓は狭く、鉄格子がびっしりとはめられている。そこから差し込む光は希望のように見えたが、現実は残酷な牢の隙間にすぎなかった。

何か使えるものはないかとポケットを探る。出てきたのは、くしゃくしゃに捩れたハンカチだけ。
スマートフォンや財布の入った営業カバンは、襲われたときに落としてしまった。

つまり――警察がGPSで追跡することもできない。この場所を知る者は、私とあの男たち以外にいない。
胸の奥から重たい絶望が湧き上がる。外界との唯一の糸が断たれ、世界の中で完全に独りになったことを思い知らされた。

ドン、ドン、ドン!
突然、トイレのドアが乱暴に叩かれた。

長居に苛立った犯人の声が、怒りを含んでどなり声のように響く。
私は慌ててズボンを上げ、扉を開けた。

出た途端、男に腕をガシッと掴まれ、再び元の小部屋へと引き戻される。他の二人がロープを持って待ち構えていた。

――また縛られる。

そう悟ったが、もはや抵抗する気力はなかった。
私は自ら腕を背中に回し、成すがままにされる。

男たちは無表情で、作業のように私の体にロープを巻きつけた。
胸、太腿、足首は再びぎゅうぎゅうに締め上げられ、口には布が押し込まれ、その布が口から出てこないよう上からロープで固定される。布の湿った匂いが鼻を突き、息がひゅう、ひゅうと浅くなる。

私を柱に縛り上げると、一人がロープの張りや結び目を確認するように腕や体をつかみ、揺すった。その手の感触が肌に残り、屈辱の熱がこみ上げる。

拘束が十分であることを確かめたのか、男たちは何事もなかったように部屋を出て行った。
扉が閉まり、外でワゴンのエンジン音が低く唸る。やがてそれが遠ざかると、あたりには虫の声と鳥のさえずり、葉の擦れる音だけが残った。その自然の音が、むしろ自分の孤独を痛いほど際立たせる。

ロープを解こうと腕に力を込めるが、やはりびくともしない。
学習していた――無理にもがけば、肌と関節をさらに痛めるだけだ。
やがて力を抜き、浅い呼吸を整える。

――誰か、きっと助けに来てくれる。

自分に言い聞かせるように心で呟き、そっと目を閉じた。
闇の底で、時だけがゆっくりと滴り落ちるように過ぎていった。

1 2 3
TOC